春の海 ひねもす のたりのたりかな

春の海 ひねもす のたりのたりかな

この句がいつも、浮かんできた。
海を、見るたび、海辺を通るたびに…。
与謝野蕪村だ。

海が近い福井県へ越してきたというのに、姑同居、夫の稼業、子育て、自分の仕事…いろいろあって、なかなか「ひねもす、のたりのたり」とはいかなかった。
それが、やっといろいろなものから解放されて、実現した。

「ひねもす」というのは終日だから、まるきり、その通りではないけれど、今年2019年、令和元年ゴールデンウイーク10連休のある日、私はそんな気分を味わった。
山梨から、旧友が訪ねてきてくれたのだ。

まん中の子供が中学の部活の遠征で、夫がその応援で3日間、いなかった、その3日間に。
一番下の子は3日のうち2日いたけど、やはりもう中学生で世話はさほどかからない。

私がひとりでしたかったことを、彼女とふたりでしたいと思った。
ゴールデンウイークに、人混みに分け入って行くのは嫌だ。
えちぜん鉄道に乗って、三国港まで行って、海をぼーっと眺めたい。

でも、一応、その他の選択肢も、彼女に訊いてみた。
福井と言えば、永平寺東尋坊、恐竜博物館が有名だけど。
だけど「私は電車に乗って海へ行くのが、一番いい」という彼女からの返事。
やっぱり、私の友人だ。

海水浴シーズンでない三国サンセットビーチが好きだ。
三国港駅降りてすぐ。
電車で行けるのがいい。

それに休日は、えち鉄乗り放題1000円のチケットを売っている。
それを利用して、大関で途中下車して『森のめぐみ』でランチ。
その日は、私の好きな広部さんのハープ無料演奏の日だった。
広部さんは、どこか私の生前の父を思わせる。
早めに行って、よかった。
ランチプレートを食べている間にも、
広部さんが練習しているのも聴けて、友人は「得した気分」と喜んでくれた。
そして、いつのまにか、本番は始まっていた。
広部さんの演奏は優しく、周囲に溶け込む。

電車が通るのが見える1階の席に座った。
いろんな席がある中で、友人が選んだ。

私はいつも、ここの2階で、英会話講師をしている。
仕事のときは、車で来る。
ここで仕事を始める前は、こうして時々、わざと電車で来たりした。

広部さんの演奏を聴き終わり、また広部さんが描いた色鉛筆画を観て、『森のめぐみ』を出る。
再び電車に乗って、三国港へ向かう。

そこで、半日のたりのたり、とコンクリート突堤の上を歩いた。
海水浴のシーズンほどではないが、天気の良い休日、釣り人が多かった。
突堤の右側と左側では、海水の色が違う。
左側が河口と交わるせいか、泥色で、右側はきれいな青色。
濁った水の上に釣り糸を垂れる人、テトラポットのはざまに青い海水が微かに波打つ上に釣り糸を垂れる人。
右と左では、違う種類の魚がいるんだろうな。

突堤をどこまでも沖に向かって行く。
潮風が、肌を刺す。

突堤の途中が低い衝立状になっていて、そこに「ここから危険」と書いてある。
でも、みんな、その先にいる。
私たちもその低い階段を上って降りて、その先へ行く。
きっとここから先は、波が荒いときは危険という意味なんだろうな。

いちばん先端には灯台があった。

帰り道は、少し低くなっている左側を歩いた。すると、右側の高くなっている部分が風よけをしてくれて、ずいぶんと、楽だった。

誰かが、魚を釣り上げた瞬間を、目撃した。
やったー。
私たちは手を叩いた。
その男の人は、私たちの質問に快く答えてくれた。
釣れた魚はコノシロというのだと。骨が多くてたべにくいのだが、酢漬けにすると美味しいのだとか。
中学生くらいの娘さんが、手さばきよく、魚の脳天をナイフで突いてとどめを刺した。
ぴちぴち跳ねる魚が、これでおとなしくなる。
クーラーボックスには1ダースくらいの魚がいた。

三国温泉ゆあぼーとに入った。
東京から初めて福井へ来て、この温泉に入ったときは感動したものだ。
海の見える温泉なんて…。
海がない山梨から来た友人は、その時の私のように、喜んだ。

再び電車に乗って、ひと駅。
三国駅で降りて、三国の町を散策した。
三国の歴史に、友人は興味を持ってくれた。
旧森田銀行と旧岸名家のお屋敷を拝見した。
三国の歴史をたどる映像も見た。

そして、またトコトコと電車に乗って福井市内へ帰る。

三国港から東尋坊まで1.5キロというのを、友人とふたりでガイドマップを見て、初めて知った。
いつも東尋坊は、車で行くから知らなかった。
三国から歩いて行けない距離じゃない。
こんどは、歩いてみよう。

* * *

東京に住んでいた頃に知り合った友人。
去年の夏に、山梨の彼女の住まいの近くに行く機会があり、泊めてもらったのが、旧交を温めるきっかけとなった。
会ったのは何年ぶりだったろう。
お互いに25歳の子供がいる。私にとっては、中学生の子ふたりの、さらに上の子だ。

その子供たちを妊娠中に、私たちは出会った。
出産予定日が、5月と7月だった。
価値観が似通っていた。
東京郊外の同じ団地に住んでいたが、ふたりとも、テレビが部屋になかった。
テレビだけではない。だいたい物が少なかった。
団地の間取りそのままで、畳がむき出しになっていた。
そんな団地の部屋で、ふたりとも、子供を自宅出産しようとしていた。

私たちが生まれた年も同じで、1963年だ。
私たちは、55歳になった。

自宅出産にはふたりとも失敗して、結局、ふたりとも同じ近所の産婦人科に運び込まれて子供を産んだ。

あれから私たちはどちらのパートナーとも別れて、いつのまにか離れ離れになった。
最終的に、私は再婚して福井に、彼女は母子家庭生活を貫き、山梨に今はひとり暮らしだ。

当時、子育てをしながら、私たちはパートナーとの関係に悩んでいた。
そして、私たちの共通点は、それを私たち自身の問題としてとらえたことだった。
相手が悪い、というのではなく。
私たちの何がいけなかったのか。
私たちにどういう問題があって、今のパートナーを選んでしまったのか。
それに真剣に取り組んだことが、私たちの絆を深めた。

 

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三国の空を舞う鳶

何かを変えようとして、私たちはもがいていた。
何がいちばん大事だったかというと、私たちの子供だった。
私たちに何か、欠けている部分があって、幸せをつかめないでいるとしたら、子供たち…ふたりとも娘だが…彼女たちには幸せになってほしいと、切に願った。
それには、自分も幸せになることが不可欠だ。

今、自分たちが100パーセント幸せかどうかはわからない。
まだまだ、何か欠けがあるのかもしれない。
けれども、私たちの娘たちはふたりとも、今はとても幸せそうだ。
それを、よしとしよう。
ここまで、私たちは成功したんだと認めよう。
とりあえず、現時点までは。

春の海を、半日のたりのたりとしながら、思った。

友人は、三国の上空を飛ぶ鳶を見て、写真を撮った。

 

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