『万引き家族』を観て(自宅のテレビ画面にて)

万引き家族』を観て、「完璧でない愛」について、私は思った。

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   「完璧でない愛」を私にくれた、イギリスのJ伯母さんのことを、思い出した。
J伯母さんは、25年前に別れた夫の伯母だ。

   

 

     彼女はロンドンの南にある海辺の観光地、ブライトンという町に住んでいた。ロンドンから日帰りで行ける、広くて明るいリゾート地である。ブライトンの海を臨む丘陵地に、裕福な人たちの住む一軒家が傾斜に沿って並んでいた。そのうちのひとつに、未亡人として、彼女は住んでいた。
    土地が傾斜しているので、車で行くと、道路からスロープを滑り降りるようにして、玄関に着く。全体が白っぽい家だ。玄関を入るとまず、温室のようになったポーチに籐の椅子が置いてある。リビングは南に面して広く、前面が芝生の庭だ。庭にはリンゴの木があった。イギリスのリンゴの実は小さい。日本で売っている姫リンゴというものに近い。伝統的なイギリスの家具でその家は満たされていた。猫足の椅子やテーブル、額に飾られた家族の写真や亡夫の絵。リビングの手前に小さなキッチンがあり、そこで食事を作ると、銀色のワゴンに乗せて、運んだ。

 

     『万引き家族』の住む貧乏な家とは違う。

 

      キッチンの脇に地下へ行く階段があった。その地下室が、元夫Sの部屋だった。土地が傾斜しているので、その地下室の南側は庭に面して窓があり、庭から見ると地下室は1階のようだった。

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     私がSと出会ったのは、ロンドンの北で、元ミュージシャンたちが共同生活をしている家だった。Sは、その北の家と、この南の伯母の家を行き来していた。彼はこの伯母のことをAuntie(アーンティ) Jと呼んでいた。伯母aunt の語尾にieをつけて、日本語でいうと、さしづめ「Jおばちゃん」か。

     J伯母さんは、夫を看取ってすぐに、実母をこの家で看取った、と言っていた。そして息つく暇もなく、私の元夫Sつまり彼女の甥を、その家で「預かった」そうだ。
もう30代で実年齢的には成人と呼べるSが、父親の姉に「預かられる」とはどういうことか。それは、彼の精神年齢が未発達だったからだ。

     私は初め、知らなかった。J伯母さんがSを預かることで、金銭を受け取っていたことを。Sの片足の膝下は変形していた。同じ個所を二度、その2回ともオートバイによる転倒で、複雑骨折を起こしていた。その障碍者としての保障金が、ジューン伯母さんのところに振り込まれていたのだ。

    

      この辺は少し、『万引き家族』に似ている。「おばあちゃん」は、孫の「あき」を引き取り、その養育費のようなものを、毎月、あきの両親から受け取っていたのだ。

    

       Sが私を連れて、初めてジューン伯母さんを訪ねたとき、彼女は十分に暖かく親切ではあったが、少し気取って、私を迎えてくれた。
私がNice to meet you.と言うと、それはダメよ、How do you do? と言いなさい、と訂正したのだ。
     イギリスのいわゆる中流階級の人たちの話し方だ。

    

      ここも、『万引き家族』の人たちとは、全然、違う。

    

     J伯母さんは、銀色の豊かな髪を緩やかに結い、青い目、長いつけまつ毛をして、体はふくよかで、いつもくるぶしまである長いドレスを着ていた。週に2回、白人のお手伝いさんが来ていた。彼女たちのことを、J伯母さんはmaid(メイド)と呼んだ。Sはそんな伯母のことを、階級意識が強すぎるのだと、批判していた。J伯母さんは「私にはもう以前のように収入がないから、彼女たちにたくさんは払えないけれど、彼女たちは引き続き、来てくれているのよ」と私に言った。今でも時々、母親のことを思い出すと寂しくなるのだ、とも私に言った。当時20代の私から見ると、老婆と呼べたこの婦人が、亡くなった母親のことを「マミー」と呼ぶことに内心、驚いた。
  「マミーが言ったのよ」
とJ伯母さんは、言った。
  「メイドを雇うのはね、話し相手にもなるからって」
     話し相手だけではない。第一死体発見者にも、彼女たちはなる。

     あれから何十年か後に、J伯母さんは、メイドさんのうちのひとりに、その孤独死を発見されたそうだ。

    

   『万引き家族』の「おばあちゃん」は孤独死ではなかった。その死を、彼女の疑似家族たちに看取られた。

 

     Sと私は当時数か月の交際期間を経て、結婚手続きをした。Sの元彼女も含めて、Sの友人たちの立会のもと、私たちはロンドンの市役所のようなところで届け出た。Sは泥酔していた。初老の役人は、少しひるんだ表情ながらも、自分の仕事を全うした。Sの家族親戚は誰も呼ばず、その届け出の後は、Sの元彼女のアパートで、酔っ払いたちのパーティがあった。

     あの時は泥酔して酷く後悔していると、SはJ伯母さんに言ったらしい。同情たっぷりに、慰めの言葉をかけられた。でも、「これからは正式に、あなたは私の家族よ」と彼女は私に両腕を広げて言った。

     しかし、この前後に、J伯母さんは、私たち両方を裏切っていた。

     私には「Sと結婚しても、あなたの国へは届け出をしなければいいわ」と言った。同じセリフを、Sの元彼女にも言われた。誰も、私がSと本気で結婚するなんて、信じていなかった。仕事もなく、家もない。裕福な両親とはそりが合わず、いつも貧乏。飲酒癖がある。言動が常軌を逸していることがしばしば。彼は自称詩人でアーティストだった。
     J伯母さんは、Sのことを「この家族の悲劇」と呼んだ。
     妻子を養う夫としては不十分だから、日本には届け出ないでおきなさいよ、という意味で、彼女は私に警告したのだ。
     私は彼の作る詩が美しいと思った、彼の卑屈でいやらしい行動とは裏腹に。みんなが、私が彼と結婚するのは、イギリス滞在のビザが欲しいだけの偽装結婚だと思っていた。私はそのみんなの勘違いを覆したくて、日本へも届け出をした。そして、最終的に連れ帰った。

     J伯母さんは、私たちの結婚の直前に、Sにはこう言っていた。
    「いつか、ちゃんとした白人の女の子を見つけて、結婚しなさい」と…。このことは、精神的に未熟なSが、私に伝えたのだ。
 
     それでも、彼女は私にいろいろと親切なことをしてくれた。結婚する前から、彼女の家に何度も泊めてくれた。ふわふわのベッドに、ひらひらの枕カバーがついている1階の可愛い部屋に。その時、シーツにイニシャルが刺繡してあるのを披露するのも忘れなかった。かつてはシーツを洗濯に出したというのが、中流階級の習わしだったことをほのめかした。フリルのついた寝具とともに彼女の若い時の写真を私に見せて「スカーレット・オハラにでもなったような気分に浸ったものよ」と私に言った。確かに写真の中の彼女はまるで女優のビビアン・リーのように美しかった。
     Sと私が北へ帰る時は、サンドイッチを作って持たせてくれた。私に、いろんな人々を紹介してくれた。彼女のこと、彼女の家族のこと、Sの小さかったときのことなどを話してくれた。ショッピングセンターへ彼女の運転で一緒に行って、日用品を買った。銀行にも一緒に行ってくれた。

    

     彼女と初めて会ってから、10か月ほど経っていただろうか。
     私がイギリスを去る時、彼女は泣きながら、カメラで私の写真を撮った。
     あの時の涙は、本物だった。

  

     『万引き家族』で、「父」が「息子」の乗ったバスを追って泣きそうになったのと同じように。あの「父」は、かつて「息子」を裏切って、逃げようとしていた。「息子」を拾ったのも偶然。車上狙いをしていて、車内から盗んだ物があるので、車内に子供が放置されていても通報できなかったからだ。かと言って、子供を見捨てて行くこともしなかった。

    

     

      狡さと優しさが同居する。
     …人間って、そういうものじゃないですか。

 

 

  『万引き家族』は、そういうことを訴えかける映画だと、私は思った。

   

  J伯母さんと、『万引き家族』の人たちは、住んでいる国も経済状態も、家族構成も違うけれど、似ているのだ。血のつながった家族に捨てられた経験も、共有している。J伯母さんは、完全に捨てられたわけではないが、父親には愛人がいて、妾宅の方にいる時間の方が長かった。私の実祖母と同じ境遇である。そのせいか、不思議に性格も似ていた。美しさを鼻にかけ、虚栄心が強く、階級意識が高い。私がJ伯母さんと仲良くやっていけたのは、そんな祖母に小さい時から接していて、そういう女性に慣れ親しんでいたせいかもしれない。

  この映画には、その他、多くのテーマが含まれている。たとえば行政の頼りなさなど、私にも覚えがある。しかし、今回、私は自分がもっとも深く感じたこのことを、書いておきたいと思った。

 

 

*現時点2020年2月27日は、2020年アカデミー賞作品賞受賞の韓国映画『パラサイト』に話題が集まっている。それに対して『万引き家族』は、第71回カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドール賞を受賞した作品(2018年)。2019年アカデミー賞では、外国語映画賞に「ノミネート」された。
 
 ちなみに是枝監督は、私が卒業した都立武蔵高校の1学年上の先輩である。が、私は当時、彼のことをひとつも知らなかった。もちろん、彼も私のことは知らない。


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