『サピエンス全史』を読んだ。I'd recommend you to read "Sapiens" by Yuval Noah Harari, if you haven't yet.

 

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1.この本を読んだきっかけ

    夫は退職してから3年、こんなに好きだったのか、と思うほど毎日何時間もリビングのソファにデンと居座り、テレビを見ている。テレビが嫌いな私にとってはストレスだ。

  

   しかし、時には興味を惹かれるテレビ番組もある。

 

   その日彼が見ていたのは、再放送を録画したもので、元々はBSで2019年1月1日(火)に放映された「“衝撃の書”が語る人類の未来」というものだ。

 『サピエンス全史』という本の内容を元に、そのテレビ番組は構成されていた。イスラエルのユヴァル・ノア・ハラリという若い歴史学者が書いた。

 「この本、買ってもいいな」と彼は言った。「家族で読もう」

   テレビより本が好きな私はすぐに反応した。

   買うと高いので、とりあえず図書館で借りることに。

 

    まずは上巻を借りてきて、いよいよ食卓で、中高生の子供たちを含めて家族4人で順に音読していきましょう、と私が張り切って読み始めたが、反応が鈍い。最初の数行で「なんか、本で読むとわかりにくいな」と夫が言った。子供たちも白けている。

 

   結局、私ひとりで読むことにした。

 

2.この本の一般的な概要

   夫がテレビで感動した部分は「農業革命が、人類を不幸な奴隷にした」という内容だった。ホモサピエンス7万年の歴史のうち、私たちはほとんど狩猟採集の生活をしてきて、農業が始まったのは、たった1万年前ということだ。それからサピエンスの人口は爆発的に増えたが、繁殖という数の上では「成功」とみられるかもしれないが、1個体として幸せになったかというと、そうではなさそうだ。狩猟採集生活より長時間働いて、得る食料は少ない。その上、不自然な姿勢をするため、腰を痛めるなど体調も不良となる。牛や豚、鶏などの家畜にしてもそうだ。数は増えたが、狭いところに閉じ込められ、生物としての自然な欲求を満たされない彼らは幸せではないだろう。また麦や稲から見ると、人間こそ家畜である。それらの穀物をこの世に繁栄させるために、朝から晩まで懸命に働く。

 

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   そのような、観点を替えて見る、という態度が「衝撃の書」と言われる所以だ。

 

   私が日本大学通信学部で習った歴史学もそうだった。先生方は、繰り返し、違う観点から歴史を見ることを奨励された。王や為政者、勝者の側からの視点だけではなく、庶民、奴隷、農民、敗者の側から見たら、どうだったのか。そこを考えよと強調された。この本が日本語で発刊されたのは2016年だ。歴史学の先生方はさっそく読まれたことだろう。

 

3.私が著者の見方、考え方にもっとも共感した部分

   さて、私が「これは」と思った点を紹介しよう。

   すべて「第19章『文明は人間を幸福にしたのか』」からの「幸せ」に関する叙述で、日本語版(河出書房新社)下巻の227ページ~239ページの6か所である。

 

1. 化学から見た幸福「学者のなかには、人間の生化学的特徴を、酷暑になろうと吹雪が来ようと室温を一定に保つ空調システムになぞらえる人もいる。状況によって、室温は一時的に変化するが、空調システムは必ず室温をもとの設定温度に戻すのだ」(227ページ)つまり、生化学的な幸福度が高く生まれついた人は、一時的に何らかの打撃を受けて落ち込むことはあってもじきに生来の陽気さを取り戻し、陰気な「設定温度」の人はどんなに恵まれた環境でも、幸運なことがあっても、幸せな気分は長持ちせず、いつもの低い設定温度に戻ってしまうということだ。なんでも人間が幸せを感じるのは、「神経やニューロンシナプス、さらにはセロトニンドーパミンオキシトシンのようなさまざまな生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される」からだそうだ。

 

2. それに続いて、既婚者と独身者の「幸せ度」についても触れている。「既婚者が独身者や離婚した人たちよりも幸せであるのは事実だが、それは必ずしも結婚が幸福をもたらすことを意味しない」(228ページ)という。逆説的に、幸せな人が結婚できる、という説だ。「陽気な生化学的特性を持って生まれた人は、一般に幸せで満足している。そうした人々は配偶者として魅力的であり、その結果、結婚できる可能性も高い。逆に、彼らは離婚する可能性が低い。というのも、生活を共にするなら、幸せで満足している配偶者とのほうが、沈みがちで不満を抱えた配偶者とよりも、はるかに楽だからだ。-中略-生化学的特性のせいで陰鬱になりがちな独身者は、たとえ結婚したとしても、今より幸せになれるとはかぎらない

 

3. 人生の意義 だが「永続する幸福感は、セロトニンドーパミンオキシトシンからのみ生じる」とすれば、子育てはどうだ、と次に問う。ノーベル経済学賞を受賞したカーネマン氏の研究によると、「子育ては相当に不快な仕事であることが判明した」(232ページ)という。しかしながら多くの親が「子供こそ自分の幸福の一番の源泉であると断言する」「この発見は、幸福とは不快な時間を快い時間が上回ることではないのを立証している」それでは幸福とは何かと問えば、ニーチェの言葉を引用して「あなたに生きる理由があるのならば、どのような生き方にもたいてい耐えられる。有意義な人生は、困難のただ中にあってさえもきわめて満足のいくものと言われれば、自分がシングルマザーで苦労した子育て期を振り返って、納得できる。

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4. しかし、人生の意義は、人によって違う。人や時代によって何に意義があるか、というのは異なる。ハラリ氏が言うには「いかなるものもたんなる妄想にすぎない」。家庭の幸せ、富や名声、国家、芸術学問、死後の世界…。それでは「幸福は人生の意義についての個人的な妄想を、その時々の支配的な集団的妄想に一致させることなのかもしれない」「私個人のナラティブが周囲の人々のナラティブに沿うものであるかぎり、私は自分の人生には意義があると確信し、その確信に幸せを見出すことができる」と読者に投げかける。そして問う。幸福とはそんな「自己欺瞞あってのものなのだろうか」と。

 

5. 以上「幸福とは(快感であれ、意義であれ)ある種の主観的感情であると要約する。(235ページ)そして自由主義が「現代のもっとも支配的な宗教」なので、現代の人々は「自分が幸せであるか、不幸であるかは、本人がいちばんよくわかっていると考える傾向にある」という。しかし、これは「自由主義に特有の見方」で、「歴史上、大半の宗教やイデオロギーは、善や美、正義については、客観的尺度があると主張してきた。そして、凡人の感情や嗜好には信用を置いていなかったのだ」という。「宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた」と述べ、「なかでもとくに興味深いのが、仏教の立場だ。仏教はおそらく、人間の奉じる他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えられる」とする。なので「科学界で仏教哲学とその瞑想の実践の双方に関心が高まっている」(237ページ)そうだ。

 キリスト教ユダヤ教そしてイスラム教などの一神教が交錯するイスラエルにあって、ハラリ氏が仏教に注目しているところが凄いと思った。

 

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6. ニューエイジと呼ばれる西洋の運動は「幸せかどうかは、外部の条件によって決まるのではない。心の中で何を感じるかによってのみ決まるのだ。富や地位のような外部の成果を追い求めるのをやめ、内なる感情に耳を傾けるべきなのだ」と説くが、それは生物学者の主張とは同じだが、ブッダの教えとは「ほぼ正反対だ」と喝破する。

幸福が外部の条件とは無関係であるという点については、ブッダも現代の生物学やニューエイジ運動と意見を同じくしていた。とはいえ、ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめることだった」(239ページ)と高く仏教を評価している。

 

 この章の最後に著者ハラリ氏は、幸福について、歴史は言及してこなかったことを指摘する。「学者たちが幸福の歴史を研究し始めたのは、ほんの数年前のことで、現在私たちはまだ初期仮説を立てたり、適切な研究方法を模索したりしている段階にある」(240ページ)そうだ。「歴史書のほとんどは」人間が歴史上に成し得た業績が「各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、何一つ言及していない。これは、人類の歴史理解にとって最大の欠落と言える。私たちは、この欠落を埋める努力を始めるべきだろう」と締めくくっている。

                                                                                            2020年12/11-27上下巻読了