夫と映画『黄金の大地』を観に行った。I went to see a movie "Golden Land" with my hubby.

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 映画『黄金の大地』の戸田博監督が福井県の出身で、俳優のひとりが、福井県の映画館『メトロ』の映写技師である山田昭二さん(写真右)ということで、福井新聞に載っていた。

 

 雨降る4月1日の夕方、夫とふたりでバスに乗って、出かけた。

 

 二人の子供たちは中学生。私たちが出かけるのか、出かけないのか、迷っていたとき、黙っていたが、内心は「出かけろ」「出かけろ」と思っていたはず。親が出かけたら、子供だけで自由にしていられるからだ。

 

 福井市の街中にある映画館『メトロ』。

 夫が若いころ、せっせと通ったらしい。その映画館は、地味だけど、良い映画を上映する、いわゆる映画通が行くような、小さな映画館だ。ただでさえ地味な福井の街中に、さらにひっそりと建つ古いビルの中にある。

 

 狭く暗いビルの1階には誰もいなかった。濡れた傘をたたんで、エレベーターに乗って4階に上がると、人がいた。

 3日間上映された、その最終日で平日、しかも雨だったので、観客は少なかったようだ。…そう、戸田監督がおっしゃった。

 上映前に、戸田監督と山田さんが私たち観客の前に立って、挨拶してくれた。

 

 白黒の映画だった。

 地味で静かで、派手なところがひとつもなく…こういうのもいいな、と思っていた。

 

 それもそのはず、後で『モナコ国際映画祭』を調べると、この映画祭は「暴力、セックス描写のない家庭向けの映画のみを対象とする。」とある。

 

 もう1本、カラー作品が続けて上映された。

 同監督、同俳優の『夏の宴』。

 後に観たせいか、それともカラーのためか、こちらの印象が鮮やかに残った。

 日本の昔話みたいな、狐につままれたような現代の話。

 人里離れた山道へ、二人の定年退職したばかりの男が寝袋持参で、車で分け入って行く。

 

 先の『黄金の大地』にも出てきたが、野宿するシーンや、野外で火を焚いて食事をするシーン、昼夜かまわず、人が森や海辺を歩くシーンが多い。

 

 『夏の宴』に出てきたぬかるんだ山道、登山家の夫が「あれは、あそこじゃないかな」と言っていた。滅多に人が入らないような山道らしい。

 帰りに、監督に直接訊いてみたら、と勧めたが、恥ずかしがり屋の夫は「いい」と言って、訊かなかった。

  

 そんな山道の途中にある「そば」という旗を見て、入って行くふたり。

 その山中の蕎麦屋の女たちは、実は狐なのではないかと、思ったが、違った。

 

 この二人の男性、知古の友人らしいが、性格や価値観が違う。それでも、「昔から、お前はそうだったなぁ」と言って、お互いに受け入れている。

 昔、好きだった女の子「お前も好きだったじゃないか」「知っていたのか」という会話。

 「もう帰ろう」と一人が言うと「あと1日いよう」ともう一人が言う。翌日は、違う方が「やっぱりお前の言うように、もう帰ろう」と言う。すると今度は、昨日は「帰ろう」と言っていた方が「いや、もう1日いよう」と言う。

 お互いに影響し合っている。

  

 映写技師であるという山田昭二さん。演技は素人と自ら謙遜していらしたが、なかなか、味のある演技でした。

 

 観に行ってよかったと思った。

 

 私は音楽を聴くのも好きだけど、それも有名なオーケストラとか人気バンドとかじゃなくて、小さな会場で、演奏者の息遣いが聞こえるくらいのコンサートが好きだ。

 この2つの映画は、それに似ている気がした。

 監督と俳優にも会えたし、どこか手作り感のある映画。

 ものすごく緊張したり怖かったりする場面もないし、CGもなし、盛り上がりもとくになし。

 でも、観た後にほっこりするような映画。

 

 もうひとつ、行ってよかった理由は、夫と二人で出かけたこと。

 とても寒い雨の夜だった。

 翌日は、4月だというのに雪が降った。

 そんな夜に二人で映画館を出た後、入った古い店。

 『樽』

 新婚のとき、何度か連れて行ってくれた店だ。

 

 結婚して18年経つ。

 2001年に結婚して、私は福井へ来た。

 

 『樽』のカウンターで、月曜日セットメニューを食べて、飲んだ。

 夕方6時半上映開始から10時近くまで、2本映画を続けて観て、お腹がぺこぺこだった。そのせいだけでもないだろうが、料理もお酒も美味しかった。地元産なのだろうか、豚肉や魚の味がよかった。黒ビールは泡のきめが細かかった。

 

 こういうところに若いころはよくひとりで入ったものだけれど、今晩は夫とふたりで、カウンターにいるお姉さんやバーテンダーに話しかけてもらわなくてもいいのが、いいな、と思った。

 夫は最近ずっと、娘のバスケットボールにかかりっきりで、夫婦で過ごす時間がほとんどない。娘はバスケットボールを小学校3年生の時から中学2年の今まで、続けている。こうして改めて年数を数えてみると、その「最近」というのは、6年間だ。

 

 そんな夫と、久しぶりに出かけて、たわいもない話をして、少しだけ飲んで、タクシーで帰った。

 11時になっていた。

 子供たちはもう寝ていた。

 夕食は勝手に自分たちで用意して食べて、食器も片づけてあった。

 

 夫は先に寝て、私はひとり、風呂に入って体を温めてから、寝た。

 

 #福井 #映画 #戸田博監督 #山田昭二 #メトロ #樽 #黄金の大地 #モナコ国際映画祭 #夏の宴 

 

 

 

 

 

 

 

美しい音色を聴くと涙が出る Moved to tears by music

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 なぜか知らないけれど、私は音楽を聴くと涙が出ることがあります。

 それはいつも生演奏で、近くに演奏者がいるときです。

 

 昨日(3月10日)は、『森のめぐみ』というカフェでのことでした。(福井県坂井市えちぜん鉄道大関駅〉のすぐ目の前にあります)

 ルーン・スタールさんというオランダ出身のピアニストの誕生会に、私は呼ばれました。私がその店で英会話レッスンをしているので、集まった人たちとルーンさんとのコミュニケーションの助けになれば、という思いで店主の田嶋さんは私を呼びました。

 

 立食パーティーのような形でした。

 知っている人がほとんどいない中で、やや緊張気味に、私はそれでも人々と会話を交わしたり、飲食をして過ごしていました。

 英語ができる人が多かったので、私の出番はほとんどありませんでした。

 

 ルーンさんのソロ・コンサートは23日(土)に『森のめぐみ』で行われると聞きました。今日はコンサートではないのです。23日は都合が悪く、私は行けないので残念だなぁ、と思っていました。

  

 でもそこは音楽好きの人たちが集まる『森のめぐみ』。ひとり、ふたり、ぼちぼちと楽器で遊ぶ…みたいな形で演奏が始まりました。

 

 カフェなのに今日は特別にお酒も出て、皆さんはほろ酔い加減。いい感じに和んでいました。 

 車を運転して行ったので、私はアルコールは飲みませんでしたが、音楽がアルコールの代わりに私の緊張をほぐしてくれました。

 

 そのうち、ルーンさんがピアノに近づいて行き、演奏を始めてくれました。

 美しい音色、という言葉では言い表せないほどの音をピアノで奏で、そして歌も歌ってくれました。

 そこにいらした、いろんな楽器を持った人たち、歌う人がルーンさんに呼ばれて、一緒に演奏しました。

 

 サックスの男の人と、クラリネットの女の人の演奏が入ったときのことです。その人たちの奏でる音色が私の体の中に入ってきました。

 

 ちょうど、みぞおちのところです。

 そこに、サックスの音がとくに、ずん、と入ってきました。

 すぐ目の前で演奏されたその音が、ずん、とです。

 私は思わず、みぞおちを押さえました。

   

 彼ら三人の演奏を聴いて、私の涙腺が緩んでしまいました。

 なぜなのか、わかりません。

 曲は Over the rainbow でした。

 私が好きな曲ではありますが、それがとくに個人的な思い出があるとかそういうことではなく、ただ、ひたすら、演奏の美しさに感じ入ったのです。

 

 谷崎潤一郎の小説の中に「美しいものを見ると涙がでてくる」というセリフがありましたが、私の場合は「美しい音色を聴くと涙が出てくる」らしいのです。

 

 そんなことが、ときどきあります。『森のめぐみ』さんでのことが、ほとんどです。

 

 感謝です。

 

 * サックス奏者は岩田雅弘さんという人だということが、後でわかりました。今まで私が見たことのあるサックスよりかなり大きな感じがしましたが、テナーサックスだそうです。女の人の名前はわかりません。お子さんを連れていらしたので、ときどきお子さんに気をとられながらも、素敵な音色を奏でていました。

  #ルーン・スタール  #岩田雅弘  #森のめぐみ  

 

 

 

 

 

 

好きなことをして、自分を好きになる。

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今日、絵を描きに行った。

何十年ぶりだろう。

写真を見て絵を描くことは、年に1回はしてきた。

年賀状に載せるために。

でも、生身のモデルを使って描いたのは、本当に久しぶりだ。

中学生のころを思い出す。

クロッキーと呼ばれる素描に夢中になっていた。

短い時間で人物を描いていく。

得意になって描き続けていると、ある日、小学校時代の恩師である図画工作の先生から、注意を受けた。

「みつこ、一本の線で描いてごらん」

え、どうして。

先生、たくさんの線を描いていい、って言ってたじゃん。

…という顔で振り返ると、

「できるだけ、一本の方が、いいんだ」

と先生は言った。

最初は、正しい線を探すために何本も線を引く。

だけど、慣れてきたら、最初の一本で「これだ」という線を見つけるんだ。

そう言われている気がした。

 

わかったような気で、絵になるような、サマになってる線を描いてはいけない。

自分にそう言い聞かせながら、描いた。

忠実に、忠実に。

見た通りに。

謙虚に。

正直に。

 

隣の人の絵が気になる。

上手そうだ。

だめだ。

見てはいけない。

美大時代に、友人の絵を見て、打ちのめされたことがある。

すっかり自信を失った。

いや、その前に、高校時代に、美大の予備校で、私はさんざん、講師たちにいじめられて、絵が描けなくなっていた。

それでも何とか受かった場所で、息を吹き返し始めたところ、また打撃を受けたのだ。

 

あの頃は、精神が病んでいたのだ。

すぐに心が折れた。

自信がないかと思えば、その裏返しで、傲慢になった。

 

私たちの大部分は、好きなことばかりをして生きてはいけない。

生活がある。

家庭を持てば、責任がついてくる。

好きなことばかりはしていられない。

 

長い間、生活のため、家族のため、好きなことを我慢してきた。

英語はその中でも続けられた。

バレエを最近になって、始めた。

そして…絵。

 

ずっと放置していた。

描けなくなった時期があった。

美大時代にはすっかり描けなくなってしまっていた。

それでも何とか卒業して、インドへ行ったら、急に描きたくなった。

 

旅をしている間は描いていた。

インドで買った安いスケッチブックと鉛筆で。

 

でも、それから、生活に追われ、描かなくなった。

 

インドから帰ったのは25歳。

今は55歳。

 

来月も、このデッサン会に参加しよう。

自分が好きなことを、しよう。

好きなことができるようになった自分を祝福しよう。

感謝しよう。

 

ありがとう。

 

今まで生きてきて、ありがとう、自分。

 

他人に心の底から感謝できない私は、まず、自分に感謝しよう。

 

絵を描くことで、自分がちょっぴり浄化された気がする。

 

他人の価値観に振り回されて、落ち込みそうになっていた、今朝。

 

自分が好きなことをして、自分を好きになろう。

自分を好きになったら、今度こそ本当に、人を愛せるかもしれない。

 

 

 

アメリカ文学史

アメリカ文学史 講義1 新世界の夢』亀井俊介著 を読んで。

 

なんか、いいなぁ、と思ったので、書いておきたいです。

 

何がいいかというと、語り口調で、わかりやすくて、公平な感じで、通りいっぺんのテキストを読んだだけではわからなかった雰囲気というか、アメリカ人作家たちの生身の姿を、身近に感じられる感じが、よかったです。

血が通っている講義なんですね。

 

これは実は、日大通信教育学部文理学部、文学専攻、英文学で、アメリカ文学史 N30200 を担当されている 北原安治先生による「学修指導書」の中に列挙されていた 推薦図書のうちの1冊です。

 

全部読み終わって、最後に著者 亀井俊介さんについて確認してみると、東大の先生なんですね。

東大でした講義を録音して、それを文書にした。

ああ、だから、語り口調なのね、と思ったし、ああ、素晴らしいな、とも思いました。

だって、私は東大に行ってないけど、東大で行われた講義を聞いたのと同じでしょ。

感激しました。

 

それで、さっそく、「講義2」 も図書館のネット予約をいれました。「講義3」まであって、全3巻です。

 

紙の本って、いいですね。

目に優しいし、持ち運びできて、電池切れとか気にしなくていいし、いきなり電源が落ちたり、画面が固まったりという心配もなく、頼りがいがあります。

途中で眠くなったら、しおりを挟んで、寝てもいいし…。

図書館で借りられるというのも、いいですね。

返せば、荷物にならないし。

買って後悔するということもなく。

 

アメリカ文学史の科目習得試験さえ、受かってしまえば、それで勉強は終わり、じゃなくて、もっと次々とアメリカの文学作品を読んでみたくなる。

今までランダムに読んできたアメリカ文学作品、アメリカ人作家たちが、私の頭の中で少しずつ、時系列に並べ変えられ、その時代での位置とか、意味とか、そういったものも、少しずつ分かってきて、勉強するって、本当に楽しいです。

 

 

 

 

アメリカ文学史 J.F.クーパーのDeerslayer(鹿討ち人、または鹿殺し)と『最後のモヒカン族』

日大通信教育部 文理学部 文学専攻 (英文学) で、アメリカ文学史を勉強しています。

北原安治先生が、教材として指定された『アメリカ小説入門』という本の22ページ、Deerslayer の和訳には苦労しました。J.F.クーパー(ジェイムズ・フェニモア・クーパー)という人が書いた作品です。

北原先生は、科目習得試験のために、このページを含む、いくつかの小説の抜粋を和訳できるように、と指示されました。わからない場合は邦訳版を見てもよい、ということですが、これは地元の図書館で検索してもらった結果、国立図書館にもない、と言われました。

それで、知人の助けも借りて、自分で試訳をして、北原先生に「これでいいですか」と手紙でお尋ねしたところ、「大体良い」という返事がいただけました。

 

このクーパーさんは、いろいろ調べた結果、英語としてかなり悪文で、翻訳者泣かせとのこと。

それでも映画にもなって有名な『最後のモヒカン族』という作品があります。

それも、DVDの日本語版はなくて、英語版をアマゾンで買いました。

音声英語で字幕も英語で、観ました。

さすがに、ついていけませんでしたが、雰囲気とあらすじはつかめました。

後で『あらすじ』を確かめて、納得。

 

悪文を書くという不名誉な評価もあるクーパーさんは、何が素晴らしいかと言うと、テキストにもありましたが「アメリカ人の理想の姿を描いた」ことです。そのことが、映画を観て実感できました。

イギリスやヨーロッパには良い意味でも悪い意味でも伝統や歴史がありますが、アメリカにはない。なかった。

それで、何を文学の題材にしたかというと、自然なんですね。

その自然の中で、どのように生きるか。

アメリカン・インディアンの中にも「善いインディアン」と「悪いインディアン」がいて、主人公の男性は白人でありながら、「善いインディアン」とともに生きる。野生に生きる。誠実さに生きる。そこが、かっこいい。もちろん、それは「理想」なので、現実のアメリカ人は違うのでしょうが、アメリカ人の中には「こんな風に生きたい」という希望があるのだな、こんな人を尊敬するんだな、というのがわかりました。まあ、現代では、そんな自然な人より、長者番付1位2位を争うアメリカ人に憧れる人の方が多いのかもしれませんが…。

 

そんなことを感じた次の日、家族がDVDでスターウォーズを観ていました。

それは日本語音声の日本語字幕で、何度も観ているものなので、私は真剣には観なかったのですが、あ、やっぱり…というものを感じました。

やっぱり、アメリカ人のテーマが「文明vs自然」みたいな…。

自分を頼りに、生きる。

自分で道を切り拓く。

 

ただの趣味で英語の本をランダムに読むだけじゃなくて、こういう風に系統立てて勉強しながら読むのも、また楽しいですね  。

 

 

 

 

 

 

アメリカのクラシック映画になったアメリカ文学『雨の朝パリに死す』

#日大通信教育部の文理学部 文学専攻 (#英文学)で、今、#アメリカ文学史の勉強をしています。

 

F・スコット#フィッツジェラルドというアメリカの作家さんは、

かの村上春樹氏が尊敬する作家ということで、

かつて、『#グレート・ギャッツビー』という彼の長編小説を、

英語の原書で読み、その朗読CDを聴き、

邦訳で読み(それも訳者が違う2種類、そのうちのひとりが村上春樹氏)

最後に映画2種類(製作年や俳優が違うDVD2種類)を観ました。

その時は、「なんで、これがいいのかなぁ」と、思いました。

村上春樹氏の作品は好きだけど、

彼が尊敬するアメリカのフィッツジェラルドさんの作品は好きじゃないわ~

と思いました。

『グレート・ギャッツビー(偉大なるギャッツビー)』は

なんで好きじゃなかったかというと、

主人公ギャッツビーが愛する女性デイジーが軽薄で、薄情で、ギャッツビーがそこまで愛し、追い求める価値がないのに、と思ったからです。

あと、金持ち社会の在り方とか。

ただただ、虚しい感じが残りました。

 

ところが、同じフィッツジェラルドさんの作品でも、『#雨の朝パリに死す』という短編は、よかったのです。

この題名は、邦画になったときの題名で、原作の題名は #Babylon Revisited です。

意味は、『悪都再訪』です。

第一次世界大戦後のパリには多くのアメリカ人が住んでいたそうです。

そして、戦後好景気に浮かれて、お金を湯水のように使い、放蕩の限りを尽くしていたとか。それはこの作品中に書いてあるのですが、パリ在住のアメリカ人全員ではなく、一部の人たちのようですが。

だから、そのころのパリを作者(あるいは主人公)は『悪都』と反省気味に呼んでいるのです。

もう、この時点で、好き。

『グレート・ギャッツビー』の中ではこの反省する節が、私には読み取れませんでした。

このフィッツジェラルドさんは、自分の体験に基づいて書くことが多いらしく、自身も奥さんと一緒にそんな浪費家的な暮らしをしたことがあったそうです。

 

雨の朝パリに死す

の予備知識としては、本と映画の終わり方が違うということでした。

本では悲しい終わり方なのに、映画ではハッピーエンドに変えられている、と。

でも、本を読んで、そんなに悲劇的な終わり方でもないな、と思いました。

手離してしまった娘を取り戻すために、主人公の男性チャーリーはパリを再訪するのですが、本では取り戻すことができずにアメリカへ帰国し、映画では、「もう、ダメか…」というところで「パパ! 」と娘が主人公の腕の中へ飛び込んで来て、感動のハッピーエンドとなるわけです。

ハッピーエンドと言っても、妻を自分の不注意で亡くしてしまっているので、半分だけハッピーです。

その妻の死が『雨の朝パリに死す』という邦題に表れています。

確かに、本では娘を取り返すことなく、パリを去る場面で終わるのですが、最後に主人公チャーリーは心に誓います。

「おれはまたいつか戻ってくる。…略…とにかくおれはわが子が欲しい。そのこと以外、今はさして楽しいことは何もない。…略…自分がこんなにも孤独であることを、おそらくヘレン(亡き妻)は望んでいなかったろう。彼はそうはっきりと確信した。」

その、いつか実現するだろう確信を、映画では時間を縮めて、その時のパリ訪問で実現させただけ、と私は読み取りました。

それと、この独り言は酒場でつぶやかれるような形になっているんだけど、

この直前の文章で、チャーリーの空になったグラスに給仕が、酒はもういらないかと、尋ねると、チャーリーは「いや、もういい」英語ではNo, no more. と答えるんですね。

それが、また比喩的でいいなぁ、と思います。

酒はもういい、と断ると同時に、あのころの浪費生活や金で何でもできると思っていた自分、それに群がっていた人たち、酒におぼれていた自分、そういったすべてを「もういい」と言っているようで、好きです。

その後で、「もう、子供を手に入れること以外、何も楽しいと思わない」と独白するんです。

本作品中には、夜中に三輪自動車を盗んで妻以外の美女と一緒に乗り回した回想などが、出てくるんですね。

そういう過去の自分を反省しているわけですよ。

「もう二度といらない」って、言っているんです。

 

ああ、ここでわかりました。

私が『グレート・ギャッツビー』を好きじゃないわけが。

あちらの作品では、その虚しさを作品全体で表しているけど、主人公ギャッツビーがそれに気づかずに無残な死を遂げる、というのが寂しすぎるのかな、私にとっては。

一方、こちらの短編『雨の朝パリに死す』では、主人公チャーリーに反省があり、希望が残っています。

 

私はかつて『グレート・ギャッツビー』を日本の小説『杜子春芥川龍之介著に比べて、虚しすぎると思いました。杜子春も、ギャッツビーとは違う方法ですが富を手にし、浪費を繰り返します。しかしながら、最後には悟りのようなものを得ます。

その違いを洋の東西の違いかと思いましたが、『雨の朝パリに死す』では、フィッツジェラルドさんも、主人公チャーリーに悟りとまではいかなくとも反省させているんですね。

 

また『雨の朝パリに死す』原作と違って映画で良かったのは、チャーリー(映画ではチャールズ)の友人で、亡妻の姉マリオンの夫となったリンカーンが、すごくカッコイイせりふを言うんです。主演男優ほどハンサムではなく、やや不細工なんだけど、あのセリフ…しびれました。そのセリフに表れた彼の人柄ですね。長年、それに気づいていて、忍んでいて、このときに、それを言うか!

友人の悲しみを理解する心の深さ、妻を許し、愛し続けてきた度量の大きさ。

カッコイイです。

これは、脚本家と監督の力ですかね。

 

なお、この『雨の朝パリに死す』は朗読CDがアマゾンになくて、原書・邦訳・そしてDVD視聴だけ、しました。

 

興味ある方はどうぞ、御覧あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズボラさんのダイエット

50代女性の私はこれで、3キロ痩せました。

具体的な数値は、59キロ→56キロ。

身長158センチ。

 

その程度でいいという方は、このズボラ・ダイエット法をご検討ください。

 

➀お湯を1日になるべくたくさん、ちびちび飲む。外出するときも自宅でも、お湯を保温ボトルに入れて、手元に置く。一応の目安は、1日2リットル。

②運動を週3回ほどして、筋力をつける。→そのときにサウナスーツを身につける。

③朝食を抜く。ヨーグルトなどの流動食を朝食の代わりにする。

 

これは、同じく50代の妹がやっていたダイエットを簡略化したものです。

妹は、私より几帳面で、きちんとダイエットして、10キロ痩せました。

きちんと、というのは、

➀お湯はきっちり計れるように、500ml目盛つきのボトルを買って、それを1日にちゃんと4本分飲む。お茶やコーヒーを飲んだら、それと同量のお湯をさらに飲む。

②このダイエット法のための運動を教えている教室に通って、運動を続けた。

③朝食は、このダイエット法が勧めるスムージーみたいなものを作って、摂っていた。

 そして昼と夜もきちんとカロリー計算をして食事をしていた。

 

それが何と言うダイエット法か、知らないけれど、妹がそれで10キロ痩せたのを目のあたりにしました。

妹は、小さいときから少し、太目でした。

私はそんなに太目ではないと自分では思っていたのですが、3人の子供を生んでから、みるみる体重が増えて、高校時代の体重より、10キロも増えていました。

そして、膝を痛めました。

半月板変形というやつです。

整骨院の先生に、あと2キロ、痩せたらなぁ、と言われました。

膝への負担が減るのに、と。

 

それで、ようやく決心しました。

痩せよう、と。

 

違う人から、同じことを2回以上聞くと、私は本当かな、やってみようかな、と思います。

朝晩、白湯を飲むと痩せる、というのは以前、バレエ仲間から聞きました。

でも、それだけでは、私は痩せませんでした。

朝食を抜く、というか、1日のうち16時間続けて絶食すると良い、というのを以前、ジャズダンスの先生から聞きました。

運動をすると痩せるというのは、まあ一般的な知識ですね。

ふだん運動をしていない人が、いきなり「運動しろ」と言われてもなかなかできませんが、私はもうすでにその時、バレエのレッスンという超ハードな運動を始めていて、しかも、かなりハマって、週に3-4回していました。

バレエのレッスンでは、筋肉、とくにインナーマッスルを鍛えて、汗を大量にかきます。

1回90分です。そのうち、30分以上はストレッチ。

でも、それだけでは、痩せませんでした。

 

白湯を飲み、朝食をヨーグルト(ケフィアヨーグルト)だけにして、運動を週3-4回。

それでも、痩せませんでした。

最後に、ずーっと前から気になっていたサウナパンツというものを買って試してみました。

全体的に痩せたい人は、サウナスーツでいいのでしょうが、私はお腹周りがとくに気になるので…。

運動をするときは、サウナパンツをはく。

それで、私は3キロ痩せました。

 

注意。サウナパンツの中は非常に汗臭くなります。

 

理屈としては、朝食を抜くことで胃が収縮する。

それで、全体的に食べる量が減る。

白湯で新陳代謝を上げる。

筋肉がつくと新陳代謝が上がる。

 

…のようです。

 

以上、ズボラさんのダイエットでした。

でも、これ、ふだんから運動をしている人向けですね('◇')ゞ