好きなことをして、自分を好きになる。

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今日、絵を描きに行った。

何十年ぶりだろう。

写真を見て絵を描くことは、年に1回はしてきた。

年賀状に載せるために。

でも、生身のモデルを使って描いたのは、本当に久しぶりだ。

中学生のころを思い出す。

クロッキーと呼ばれる素描に夢中になっていた。

短い時間で人物を描いていく。

得意になって描き続けていると、ある日、小学校時代の恩師である図画工作の先生から、注意を受けた。

「みつこ、一本の線で描いてごらん」

え、どうして。

先生、たくさんの線を描いていい、って言ってたじゃん。

…という顔で振り返ると、

「できるだけ、一本の方が、いいんだ」

と先生は言った。

最初は、正しい線を探すために何本も線を引く。

だけど、慣れてきたら、最初の一本で「これだ」という線を見つけるんだ。

そう言われている気がした。

 

わかったような気で、絵になるような、サマになってる線を描いてはいけない。

自分にそう言い聞かせながら、描いた。

忠実に、忠実に。

見た通りに。

謙虚に。

正直に。

 

隣の人の絵が気になる。

上手そうだ。

だめだ。

見てはいけない。

美大時代に、友人の絵を見て、打ちのめされたことがある。

すっかり自信を失った。

いや、その前に、高校時代に、美大の予備校で、私はさんざん、講師たちにいじめられて、絵が描けなくなっていた。

それでも何とか受かった場所で、息を吹き返し始めたところ、また打撃を受けたのだ。

 

あの頃は、精神が病んでいたのだ。

すぐに心が折れた。

自信がないかと思えば、その裏返しで、傲慢になった。

 

私たちの大部分は、好きなことばかりをして生きてはいけない。

生活がある。

家庭を持てば、責任がついてくる。

好きなことばかりはしていられない。

 

長い間、生活のため、家族のため、好きなことを我慢してきた。

英語はその中でも続けられた。

バレエを最近になって、始めた。

そして…絵。

 

ずっと放置していた。

描けなくなった時期があった。

美大時代にはすっかり描けなくなってしまっていた。

それでも何とか卒業して、インドへ行ったら、急に描きたくなった。

 

旅をしている間は描いていた。

インドで買った安いスケッチブックと鉛筆で。

 

でも、それから、生活に追われ、描かなくなった。

 

インドから帰ったのは25歳。

今は55歳。

 

来月も、このデッサン会に参加しよう。

自分が好きなことを、しよう。

好きなことができるようになった自分を祝福しよう。

感謝しよう。

 

ありがとう。

 

今まで生きてきて、ありがとう、自分。

 

他人に心の底から感謝できない私は、まず、自分に感謝しよう。

 

絵を描くことで、自分がちょっぴり浄化された気がする。

 

他人の価値観に振り回されて、落ち込みそうになっていた、今朝。

 

自分が好きなことをして、自分を好きになろう。

自分を好きになったら、今度こそ本当に、人を愛せるかもしれない。