お気に入りの腕時計 My favorite watch
奇跡的に見つかった、お気に入りの腕時計
まさか…。
ない、ない。
午後、勉強がひと段落して、さあ、気分転換に散歩でもと、出かけようとしたその時に、時計がないことに、気づいた。
私のお気に入りの腕時計の定位置は、この間、決まったばかりだ。
国際フェスティバルで買った、アフリカ製の石を削って作った小皿の中へと。
それが、ない。
小皿の中は、何度、見ても、触っても、時計は入っていない。
茶色い牛革鞄の肩掛けベルトには、ついていない。
昨日は日中、車で銭湯へ行った。
あの時、時計を外して、鞄の肩掛けベルトにつけた。
あのつけ方が、甘かったのか。
腕時計の革ベルトを鞄の肩掛けベルトに巻き付けて、穴に金具を通した。
いつも私はそうしている。
もしかしたら、あの金具が緩んで…。
でも、もしかしたら、それは私の記憶違いで、ポーチの肩掛けベルトだったかもしれない。
もしかしたら、無意識に、鞄の中か、ポーチの中に入れたのかもしれない。
そう思って、ポーチの肩掛けベルトや、鞄の中、内ポケット、外ポケット、そしてポーチの中まで、何度も何度も、探してみた。
鞄の中も、ポーチの中にも、なかった。
ポーチの肩掛けベルトにも。
万が一と思った、コートのポケットにもなかった。
昨日は2台の車に、乗った。
だがその2台とも、中には、落ちていなかった。
銭湯のあと、2台目の車で、夫を飲み屋まで送った。
夫を送ったあと、銭湯に持って行ったのと同じ鞄を持って、娘と二人で夜道を歩いて、ベッキエッタという店へ行った。手作りチーズが美味しい、隠れ家的な店。美味しいものをちょっとだけ味わうためのお店で、育ち盛りの子供連れでお腹いっぱい食べさせようとすると、高くつくので、サラダを自宅で食べて腹ごしらえをしてから、行った。4人家族が揃っている時は、やはり高くつくので行かない。
今夜は絶好のチャンスだ、と思った。
娘が好きなチーズの店。
少年のように頭を刈ってズボンを穿いた娘は、バスケットボールを突きながら、歩いた。ボール入れの袋を肩にかけていると、ボールが突きにくい。
私は娘のボール入れの袋を持ってやった。
両肩に鞄とそのボール入れを掛けた。
あの時、鞄のベルトに巻き付けた腕時計が落ちたのかも…。
いや、まずは昨日行った場所を当たってみよう。
銭湯に電話した。
銭湯の中で散髪した、その散髪屋にも電話した。
ベッキエッタにも、電話した。
いずれも、落とし物はないという返事。
電話したどこにもないということは、やはり、歩いていたときに、落としたのか。
昨日、娘と歩いた同じ道のりを、歩いてみることにする。
見つからないかもしれない。
草むらの奥深くに入ってしまったら…。
橋を渡った時、川の中に落ちてしまったら…。
私がいけなかったんだ。
大事に扱わなかったから…。
鞄のベルトに巻き付けたまま、外を歩くなんて…。
不注意のため、子供を事故で亡くした親のような気持ちがする。
行方不明になった子を、あてどもなく探しに行くような…。
あの時計。
2013年の10月に買った。
6年前だ。
ネットで見つけたのだが、素材、デザインが気に入って、購入した。
牛革製のベルトでありながら、女性用の細目のデザイン。
真鍮の金具と文字盤。
経年とともに、真鍮は青みがかる。
革のベルトはいい感じに馴染んだ。
だが、6年もすると、革はひび割れ、硬くなってきた。
それにも増して困ったのが、時間がしょっちゅう、ずれるということだった。
電池を取り換えても、取り換えても、すぐずれる。
近所の時計・眼鏡店の主人は言った。
「この時計は故障していますよ。だから、電池を取り換えてもすぐ時間がずれるんです」
重い腰を上げて、修理を依頼することにした。
この時計はいちど修理に出している。
その時の連絡先をネットで尋ねてみるが、もうこの商品は取り扱っていないとの事。
それでは、と腕時計作家の名前で検索してみた。
すると、作家MARI GOTO さんは、別の取扱店の中にいた。
クラフトカフェWEB本店という、時計アクセサリーなどの手作り作家、複数名を抱えているところだ。
ここへ連絡して、修理費8748円を払うことに。
しばらく待つと、作家さん直筆のメモがついて修理された時計が戻ってきた。
嬉しかった。
だが、またすぐに、時計の針が狂い始めた。
再修理だ。
無料で、再修理をしてくれた。
ところが、またまた、おかしい。
なぜ?
具合が悪くなって入院させた子が元気になって戻ってきたのに、また…という思いがした。
「もう、この子はダメなんでしょうか…。」と私はクラフトカフェWEB本店へメールに書いて、送った。
どうやら、時計の置き場所が悪かったらしい。
磁気のある近くに置くと、針が狂うのだ。
私は時計を、テレビとiPadとスマホの近くにいつも置いていた。
その磁気を除去して、送り返してくれた。
それも、無料だった…。
ああ、よかった、と思った。
最初の見積もりの時に、ちょっと高いな、と思ったが、ここまで面倒を見てくれるとは…。
子供の病気を治してくれたお医者さんに感謝するように、私はクラフトカフェさんと、MARI GOTOさんに、感謝した。
その時計を、失くしたとは…。
クラフトカフェさんが親切だったので、もし、失くしてしまっていたら、あの店で別の時計を購入しようと思ったが、同時に、恥ずかしい思いがした。
「あなた、あの時計をわが子のように大事にしていたんではなかったのですか?」と思われるような…。
飼い犬を亡くした人たちを、思った。
元夫の父親。
私の妹夫婦。
どちらも、失意のためか、しばらくは次の犬を飼わなかったが、やがて次の犬を飼い始めた。
私も彼らのように、しばらくは、別の時計なんて、買えない気がした。
あの時計が、よかったのだ。
欠点がなかったわけではない。
金具が飛び出しているので、手編みのニットにすぐひっかかって、何着も、何回も、繊維が伸びてしまった。
ちっ、と舌打ちをする思いがしたが、それでも、私はその時計を愛し続けた。
そう、まるで欠点のあるわが子を愛おしむように。
その欠点のせいだろうか、もう同じ商品は製造されていないという。
MARI GOTOさんは作家さんだから、旬があるのかもしれない。
あの時計の修理はしても、今はもう違うデザインが、彼女の中では旬だから、あのデザインの時計はもう作らないのかも…。
また、あれは当時、手作りの時計としては手ごろな値段だった。
今ではもっと高い手作り時計が売れている。
暗い面持ちで、下を向きながら、歩いていると、「あっ」まさか、橋の袂の草むらに、あの時計が落ちていたのだ。
ああ、昨夜は雨が降らなくて、よかった…。
私の時計は無傷で、そこにいた。
ベッキエッタまで、ちょうどあと半分の道のりのところだった。
私はパッとそれを拾うと、くるりと踵を返した。
橋の向こう側で、少年がいぶかしそうに、急に方向転換した私を見ていた。
私は声を出して、言いたい気がした。
「見つかったのよ! 私の時計が!!」
声を出す代わりに私は、時計を左手首につけて、その上から右手でしっかりと何度も、何度も、押さえつけた。
ごめんね、もう二度と、あんなぞんざいな運び方はしないから。
鞄の革紐に巻き付けておくのは、今後一切、しないからね。
ありがとう。
ここにいてくれて、ありがとう。
ここで待っていてくれて、ありがとう。
物に執着しないのが、仏教徒の生き方、と習ったけれど、私はまだまだ修行が足りない、自分のお気に入りの物を愛する人間です。
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