お気に入りの腕時計 My favorite watch

   奇跡的に見つかった、お気に入りの腕時計

 

 まさか…。
 ない、ない。

 

 午後、勉強がひと段落して、さあ、気分転換に散歩でもと、出かけようとしたその時に、時計がないことに、気づいた。

 

 私のお気に入りの腕時計の定位置は、この間、決まったばかりだ。
 国際フェスティバルで買った、アフリカ製の石を削って作った小皿の中へと。
 それが、ない。
 小皿の中は、何度、見ても、触っても、時計は入っていない。

 

 茶色い牛革鞄の肩掛けベルトには、ついていない。
 昨日は日中、車で銭湯へ行った。
 あの時、時計を外して、鞄の肩掛けベルトにつけた。
 あのつけ方が、甘かったのか。
 腕時計の革ベルトを鞄の肩掛けベルトに巻き付けて、穴に金具を通した。
 いつも私はそうしている。
 もしかしたら、あの金具が緩んで…。

 

 でも、もしかしたら、それは私の記憶違いで、ポーチの肩掛けベルトだったかもしれない。
 もしかしたら、無意識に、鞄の中か、ポーチの中に入れたのかもしれない。
 そう思って、ポーチの肩掛けベルトや、鞄の中、内ポケット、外ポケット、そしてポーチの中まで、何度も何度も、探してみた。

 鞄の中も、ポーチの中にも、なかった。
 ポーチの肩掛けベルトにも。
 万が一と思った、コートのポケットにもなかった。

 

 昨日は2台の車に、乗った。

 だがその2台とも、中には、落ちていなかった。

 

 銭湯のあと、2台目の車で、夫を飲み屋まで送った。
 夫を送ったあと、銭湯に持って行ったのと同じ鞄を持って、娘と二人で夜道を歩いて、ベッキエッタという店へ行った。手作りチーズが美味しい、隠れ家的な店。美味しいものをちょっとだけ味わうためのお店で、育ち盛りの子供連れでお腹いっぱい食べさせようとすると、高くつくので、サラダを自宅で食べて腹ごしらえをしてから、行った。4人家族が揃っている時は、やはり高くつくので行かない。
 今夜は絶好のチャンスだ、と思った。
 娘が好きなチーズの店。
 少年のように頭を刈ってズボンを穿いた娘は、バスケットボールを突きながら、歩いた。ボール入れの袋を肩にかけていると、ボールが突きにくい。
 私は娘のボール入れの袋を持ってやった。
 両肩に鞄とそのボール入れを掛けた。
 あの時、鞄のベルトに巻き付けた腕時計が落ちたのかも…。

 

 いや、まずは昨日行った場所を当たってみよう。
 銭湯に電話した。
 銭湯の中で散髪した、その散髪屋にも電話した。
 ベッキエッタにも、電話した。
 いずれも、落とし物はないという返事。

 

 電話したどこにもないということは、やはり、歩いていたときに、落としたのか。
 昨日、娘と歩いた同じ道のりを、歩いてみることにする。
 

 見つからないかもしれない。
 草むらの奥深くに入ってしまったら…。
 橋を渡った時、川の中に落ちてしまったら…。

 

 私がいけなかったんだ。
 大事に扱わなかったから…。
 鞄のベルトに巻き付けたまま、外を歩くなんて…。

 

 不注意のため、子供を事故で亡くした親のような気持ちがする。
 行方不明になった子を、あてどもなく探しに行くような…。

 

 

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 あの時計。

 2013年の10月に買った。
 6年前だ。
 ネットで見つけたのだが、素材、デザインが気に入って、購入した。
 牛革製のベルトでありながら、女性用の細目のデザイン。
 真鍮の金具と文字盤。
 経年とともに、真鍮は青みがかる。
 革のベルトはいい感じに馴染んだ。
 

 だが、6年もすると、革はひび割れ、硬くなってきた。
 それにも増して困ったのが、時間がしょっちゅう、ずれるということだった。
 電池を取り換えても、取り換えても、すぐずれる。
 近所の時計・眼鏡店の主人は言った。
 「この時計は故障していますよ。だから、電池を取り換えてもすぐ時間がずれるんです」

 

 重い腰を上げて、修理を依頼することにした。
 この時計はいちど修理に出している。
 その時の連絡先をネットで尋ねてみるが、もうこの商品は取り扱っていないとの事。
 それでは、と腕時計作家の名前で検索してみた。
 すると、作家MARI GOTO さんは、別の取扱店の中にいた。
 クラフトカフェWEB本店という、時計アクセサリーなどの手作り作家、複数名を抱えているところだ。
 ここへ連絡して、修理費8748円を払うことに。
 しばらく待つと、作家さん直筆のメモがついて修理された時計が戻ってきた。
 嬉しかった。
 だが、またすぐに、時計の針が狂い始めた。
 再修理だ。
 無料で、再修理をしてくれた。
 ところが、またまた、おかしい。
 なぜ?

 

 具合が悪くなって入院させた子が元気になって戻ってきたのに、また…という思いがした。
「もう、この子はダメなんでしょうか…。」と私はクラフトカフェWEB本店へメールに書いて、送った。

 

 どうやら、時計の置き場所が悪かったらしい。
 磁気のある近くに置くと、針が狂うのだ。
 私は時計を、テレビとiPadスマホの近くにいつも置いていた。
 その磁気を除去して、送り返してくれた。
 それも、無料だった…。
 ああ、よかった、と思った。
 最初の見積もりの時に、ちょっと高いな、と思ったが、ここまで面倒を見てくれるとは…。
 子供の病気を治してくれたお医者さんに感謝するように、私はクラフトカフェさんと、MARI GOTOさんに、感謝した。

 

 その時計を、失くしたとは…。
 クラフトカフェさんが親切だったので、もし、失くしてしまっていたら、あの店で別の時計を購入しようと思ったが、同時に、恥ずかしい思いがした。
 「あなた、あの時計をわが子のように大事にしていたんではなかったのですか?」と思われるような…。

 

 飼い犬を亡くした人たちを、思った。
 元夫の父親。
 私の妹夫婦。
 どちらも、失意のためか、しばらくは次の犬を飼わなかったが、やがて次の犬を飼い始めた。
 私も彼らのように、しばらくは、別の時計なんて、買えない気がした。
 あの時計が、よかったのだ。
 欠点がなかったわけではない。
 金具が飛び出しているので、手編みのニットにすぐひっかかって、何着も、何回も、繊維が伸びてしまった。
 ちっ、と舌打ちをする思いがしたが、それでも、私はその時計を愛し続けた。
 そう、まるで欠点のあるわが子を愛おしむように。

 

 その欠点のせいだろうか、もう同じ商品は製造されていないという。
 MARI GOTOさんは作家さんだから、旬があるのかもしれない。
 あの時計の修理はしても、今はもう違うデザインが、彼女の中では旬だから、あのデザインの時計はもう作らないのかも…。
 また、あれは当時、手作りの時計としては手ごろな値段だった。
 今ではもっと高い手作り時計が売れている。

 

 暗い面持ちで、下を向きながら、歩いていると、「あっ」まさか、橋の袂の草むらに、あの時計が落ちていたのだ。
 ああ、昨夜は雨が降らなくて、よかった…。

 私の時計は無傷で、そこにいた。

 

 ベッキエッタまで、ちょうどあと半分の道のりのところだった。
 私はパッとそれを拾うと、くるりと踵を返した。
 橋の向こう側で、少年がいぶかしそうに、急に方向転換した私を見ていた。
 私は声を出して、言いたい気がした。
 「見つかったのよ! 私の時計が!!」
 声を出す代わりに私は、時計を左手首につけて、その上から右手でしっかりと何度も、何度も、押さえつけた。

 

 ごめんね、もう二度と、あんなぞんざいな運び方はしないから。
 鞄の革紐に巻き付けておくのは、今後一切、しないからね。
 ありがとう。
 ここにいてくれて、ありがとう。
 ここで待っていてくれて、ありがとう。

 

 物に執着しないのが、仏教徒の生き方、と習ったけれど、私はまだまだ修行が足りない、自分のお気に入りの物を愛する人間です。

 

#手作り腕時計 #MARI GOTO  #クラフトカフェWEB本店 #ベッキエッタ #お気に入りの物

英語とバレエ  Ballet and English

英語とバレエ         どちらも練習が大事

It’s all about practice. ---Ballet and English---

 バレエも英語も、とにかく練習あるのみだ。繰り返し練習することで、身につけていく。(バレエに限らず、スポーツなら何でも、あるいは楽器の演奏など実技系はなんでもそうだろうが)
 ここで言う英語とは、いわゆるコミュニケーション英語である。学門としての英語ではなく、純粋にコミュニケーションのツールとしての、英語。それは勉強というより、実技だ。
 
 子供のころバレエを習わせてもらえなかったので、私は大人になってからバレエを始めた。勤め始めた20代から50代に至る今まで、旅・結婚・移住・出産・子育ての合間を縫って断続的に。現在は福井駅前のアオッサというビルにある『手寄バレエスクエア』というところで習っている。万年初心者で、バレエというより「オバサンのちょっと気取った健康体操」と呼んだ方がいいかもしれない。

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    バレエは上手い人がやれば、見た目が優雅な運動だが、実際は血と汗と涙が滲むような努力を要する、きつい運動である。それを自ら好んで、お金を払ってやりにくる私と同年代の女性たち。私たちはマゾヒストなのではないかしら…?としばしば思う。この年になって、これからバレリーナになれるわけでもないのに…。せいぜい、誰にも内緒で発表会に参加して、密かな自己満足を得るくらいだ。(バレエを習っているなんて人に言ったら、嘲笑されるだけだし…。)
 
   しかし、大人になってから始めて、師範の域にまで達した人も中にはいる。そんな人のひとりが、М先生である。(手寄バレエスクエアには、複数のバレエ講師がいる。)

    М先生から、私に「英語を習いたい」と言われたときは、びっくりした。
    バレエでは教えてもらう立場の私が、М先生に、英語を教える…。
    なんだか始めは気恥しかったが、今では気持ちを切り替えて、やっている。
    私の英語レッスンは、私が「教える」というより、生徒さんに自分で練習していただく、その過程や成果を私が確認する、というものだ。

    М先生はバレエ講師のほかに、フルタイムでお仕事をしていらっしゃる。趣味も多彩で、英語のほかの習い事もされている。私の英語レッスンには月に2-3回、お仕事帰りに寄られるだけだが、さすがは練習好きなМ先生、徐々に上達される。

    実はあともうひとり、バレエ教室で親しくなった人(生徒のひとり)も、習いに来てくれている。彼女は、お金も時間もある上、やはり練習好きなせいか、どんどん上達する。
    このふたりが、私に英語を習いたいと言ってくれたことを、とてもありがたく思っている。ふたりとも、私がうんうん、汗を流して、バレエの基礎を、できるだけ正確に、先生の指導通りにやろうとしているのを見ている。その姿を評価され、信頼されたようで、嬉しい。

 

 

    英語レッスンの始めに、いつも生徒さんに近況を英語で話してもらう。

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    ある日、М先生が、こんな話をしてくださった。

    仕事で大阪へ会議に行った日の夜、大手バレエ用品店が主催するバレエのワークショップに参加してきたと。それが、とても勉強になったと、嬉しそうに話された。 
    私は思わずOh, we are the same! と叫んだ。私もМ先生も、人様に教える立場であると同時に、自らも学び続ける人なのだ。いや、どちらかというと、ずっと学び続けたい人、練習が好きな人で、少しだけ人様より進んでいる分、どうやって上達していくか、その方法を教える、というタイプなのだ。  
 バレエより英語が有利な点は、ほぼいつでもどこでも練習が可能という点だ。バレエは、バレエスタジオでないと、なかなか難しい。自宅で練習して怪我した人を何人か知っている。
   英語は、いわゆるネイティブスピーカーの音声を聴いて、それを真似るというのが主な練習方法だが、通勤途中の車の中でも、バスや電車の中でも、歩きながらでも、家事しながらでも、ちょっとした隙間時間にできる。
 
   いずれにしても、練習好きな人が、英語もバレエも、上達していく。

#英語 #英会話 #バレエ #練習 #コミュニケーション英語 #実技としての英語 #手寄バレエスクエア #先生として教えるだけじゃなくて学び続ける #英会話&TOEIC やぎみつこ 

映画『愛と喝采の日々』を観て The Turning Point

愛と喝采の日々』The Turning Pointを観た。1977年の映画だ。現在2019年。42年前の映画だ。だが、今なお古くて新しいテーマだと思った。
 
 この映画は単純に「家庭か仕事か」ではない。
 
   シャーリー・マクレーン扮するディーディーは「家庭と仕事を両立」させている。夫は元バレエ団の仲間。彼とともに、好きな事を仕事にして(バレエ教室を経営)、子供たち3人と幸せに暮らしている。
 

 問題は、その好きな事(バレエ)を極めたかどうか、である。 
 

 かつての恋のライバルそしてプリマドンナを争うライバルであったエマは、結婚せず同バレエ団のプリマドンナとして生き続けた。だが、もうそろそろ引退の時が近づいていた。
  その二人の葛藤を軸に、ディーディーの娘のエミリアを含めて、物語は展開していく。

  

 

  奇しくも、つい先日、女友達Cがこう言った。
 「家庭に縛られず、芸術活動だけしていられる人を見ると、嫉妬する」
    もちろん、Cは子供を持ったことを後悔はしていないのだが、と付け加えた。
    それは私も同じだ。子供3人を持ったことを、喜ばしく思えこそ、後悔はしていない。
    だが自分で選んだ道ではあるが、自分が家庭生活のために割いている時間(他の女性と比べて短く、かつ雑かもしれないが…)を、しばしば激しく、恨めしく思う。
 
    友人Yは自分が何をしたいか、若いころからはっきりとした考えを持っていた。結婚を一度はしたが、芸術の道を進むために解消した。二度目の(私が知っている範囲で)結婚のチャンスも、家庭に縛られることを予測した途端に、深く悲しみながらも破綻への道を突き進んでしまった。
    彼女は、今では有名作家で裕福、というわけではないけれど、60歳近い今も確実に自分の道を歩み続けている。彼女の作品を認め、支援する画廊がある。
  何十年かぶりにYに会ったとき、なぜ私が結婚(再婚)の道を選んだか、純粋に不可思議なことに対する疑問という形で質問された。それに、この場で答え始めると長くなるのでやめておく。友人Cにしても、まあ、いろいろあって、妊娠そして出産となり、現在は小学生の男の子を育てているのだ。
  
 

 問題は、なぜ私たち女性は、今も昔も、この問題で悩まなければならないのか、ということだ。もちろん、今では普通の「仕事と家庭の両立」のみならず、女性でも大統領や首相といった職業と家庭生活を両立できることが証明されているが…。
 
  

 男性は家庭と仕事の両立が、私たち女性より、確実に容易にできる。
 

 …と言いたかったが、はたと気づいた。
 

  男性でも、家庭生活のために芸術活動をあきらめる人もいる。

  妻子を養うために、筆を折り、飲食店を始めた人。
  一方で、妻子にひもじい思いをさせても、書家としての道を究めた人もいた。
 
 

  やはり、才能、運、運命…いろいろなものがあって、性別に関わりなく、人それぞれに与えられた環境、課題があるのかもしれない。
 
 

  私がこの映画を観た感想を「男はいいわよね」的なものにしようとしている自分の心の奥底を探ってみると、やはりそこには『嫉妬』がある。
 
   この映画のもうひとつのテーマは、嫉妬だ。
 

    自分が選ばなかったことで、得られなかった人生に対する、嫉妬。
 ディーディーは家庭を選んだために、プリマドンナになれなかった。
 エマはバレエを選び、結婚を諦めた。そして、その最盛期が終わろうとしている今は寂しさを感じている。
 

 映画のクライマックスでは、このふたりの女性が、冷たい口論から始まり、激昂し、ついには激しい肉弾戦となる。
 そして、自分たちでおかしくなって、笑い出してしまう。そして、ベンチに座って言う。
「嫉妬って、恐ろしいわね」

 

 

 私の嫉妬の対象は、友人ではなく、夫だ。
 夫はもうすでに「ひと仕事」終えている。
 小さい会社だが、長年、社長として勤め上げ、ある程度の人々から尊敬され、今ではそこそこ余裕のある年金暮らし。年齢的に遅くはあったが私と結婚して、子供が出来、念願の『家庭』というものを築いた。
 私に家庭はあるが、まだ何も、成し得ていない。
 いや、成し遂げたことを数えてみれば、いくつかはあるのだが、まだまだ足りないと思っている自分がいる。
 自分がずっと持ち続けている夢を、まだ叶えていない。というより、そろそろ諦めてもいいかもしれないその夢を、諦めないで持ち続けている。
 あるいは、世の中から認められていない、と感じている。
 自分が成し得た小さなことのいくつかは、世間様にとっては取るに足りないことだと感じている。
 

 認められたい、という自分がいるということか。

 

 そう言えば、さっきのクライマックスのシーンで最高なのは、ディーディーが感極まって泣くところである。「何十年間も、欲しかったのよ、その言葉が」
 エマに自分が「認められた」と感じることのできた瞬間だ。
 
 

 実はこの映画、前に録画してあったものを、夫と一緒に観たのだ。
 夫はとくに感想がなさそうだ。
 途中で居眠りさえしていた。
 感想は?と訊くと「踊りが上手かったな」ぐらい。
 確かに…。あれは圧巻だった。
 英語でしかもバレエ物。私の好きなことばかり。よく、夫がつき合ってくれた。それに感謝もせずに「あんたは男でいいわよね」「あなたはもうひと仕事成し遂げた人だから」と私は思う。
 
 

 私は映画もテレビ番組も、日常生活の中でほとんど見ない。そして、ひとつ見ると、こうして、考える。それからでないと、次に行けない。
 夫は、一日に何本も、録画したテレビ番組や映画を見る。
 感想はないの? 考えないの?
 と私はやや侮蔑的に思う。

 しかし、それは人のタイプとしての違いだ。
  
 私が、自分と違うタイプの夫のことを、受け入れられないでいるから「やや侮蔑的」な目で彼を見るのだ。
 社会的にも認められ、家庭も持った、人生に満足してのんびりしている夫に嫉妬するのも、自分と違う人のことを、そのまま受け入れられずにいるから…。

 最初に、自分で言ったじゃないか。
 
 この映画は単純に「家庭か仕事か」ではない。
 
…確かに、その通りでした。

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愛と喝采の日々 The Turning Point



 いろいろ、考えさせられました。

 ちなみにこの映画の原題はthe turning point『折り返し地点』
 娘の成長とか世代交代とか、ほかにもいろいろ考えるテーマはありそうですね。

 

#映画『愛と喝采の日々』 #嫉妬 #バレエ #英語 #男女格差 #家庭と仕事 #芸術 #達成感  #女性の生き方 #感謝  #比較  
 

掘り出し物

根がケチなせいかもしれない。
投げ銭ライブなんて聞くと、行きたくなる。
9月6日、2日前に「急遽、決まりました」との事でFacebookに投稿があった。京町カフェYYという、福井市順化の外れにある店で午後3時より。オーナーの清水さんは元高校教諭。かつての生徒が福井に帰省中というので、その子に演奏させるという。
こういう投稿を見て「行こう」と思う時、「当たり」なことが多い。勘が働くのか。

京町カフェさんは駐車場がないので、バスで行く。
最近、福井市内を走るこの『すまいるバス』というのにも、ちょっとハマっている。100円で、その区間内はどこでも行ける。
やっぱりケチだ。

掘り出し物が好き。
それも、ケチなせいか。

いや、それもあるかもしれないが、第一発見者になりたいという気持ちが強い。
旅でも同じ。
風光明媚な観光地は避けたい。
みんながいいという、太鼓判を押された景勝地は、確かに良いのかもしれないが、面白くない。
自分がこれを発見した! という喜びが欲しい。
独占欲が強いのか。

無名の演奏家
上手いか下手か、わからない。
私にとって好みかそうじゃないか、わからない。
ラクタか、お宝か。
聴いてみなけりゃ、わからない。

原石。
磨いてみなけりゃ、わからない。
ただの石っころか、宝石か。
磨けば玉となる原石に出会うのが好き。
未完成な状態のものが好き。
完成されて、有名になって、みんながいいと言うものには、あまり惹かれない。

女の子の方は、三原万里子さん。昭和音楽大学を卒業して、もうすでに東京でプロとして活動しているらしいが、男の子はまだ福井大学の学生で、これから大学院の試験を受けるという、大森響介さん。三原さんの中学時代の同級生とか。
ふたりとも普段着で現れて、見た目からは渋みとか味とか期待できない人たちだったが、その予測を大きく裏切り、ああ、なんと渋い演奏を聴かせてくれたことか!
そして、ふたりとも作曲の才能がある。
声の音域が広い。

まるで旅の途中の原っぱで、人知れず咲く二輪の美しい花を発見したような。
木々が鬱蒼と茂る山道の途中で、せせらぎの脇に咲く二輪の珍しい花を発見したような。
それは美しく可憐なだけでなく、不思議と妖艶でもあった。

歌詞や旋律の大人びた感じが彼らの見た目とアンバランス。
健全な福井の町で、普段の生活で、触れてこなかったものに触れた。
都会の匂い。

しかし、ここは田舎。
バスは1時間に2本。
その時間に合わせて外に出ると、まだ日の高い外は残暑が酷かった。
バスに乗り込むと、意外と多くの人が乗っていて、座る席がなさそう。…と思っていたら、気のいいお婆さんが、私に手招きをして、隣の席に座らせてくれた。
反対側の手すりを見ると、そこに傘がかけてある。
誰かの忘れ物だろうかと見ていると、「私の」と言ってその痩せたお婆さんはにこにこしている。彼女が私の右側に座っていて、私がいて、私の左側の手すりに、傘。私が持っている傘と同じ柄で色違いだ。
彼女が先に降りるなら、とってあげようと思っていたが、私の方が先に降りた。
彼女に会釈をして、笑顔を交わして降りる。
「ありがとう」とバスの運転手に言う。
このバスに乗る多くの人たちがそう言うのに習って…。

19年前に、初めて夫と出会った時のことを微かに思い出す。
「僕の住む福井県では、お店のお客さんも、お店の人に対して『ありがとう』って言うんですよ」
お金を受け取るお店の人がお客にありがとうと言うのは当たり前だけど、他の県ではお客は「ありがとう」と普通、言わないのだと聞いた…とかつての見知らぬ福井県人は言った。

あの出会いも、旅の途中だった。
私は東京から、彼は福井から、旅に出ていた。
屋久島へ向かう船の上、2000年の12月31日。

私たちはガラクタどうし、みつけ合って、あの時はお宝と思えたものだが、今はすっかり恋の魔法が解けて、ガラクタはガラクタにしか見えない。
割れ鍋に綴じ蓋とはこのことか。

…若いお宝を見つけた話から、なんと古いガラクタどうしの話になってしま

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大森響介 三原万里子


った。
今からでも磨き直せば、光るかなぁ…。(お互いにね)

 

#トロンボーン #ギター  #三原万里子  #大森響介  #京町カフェYY  #投げ銭ライブ  #旅   #出会い  #福井  

 

『既成概念を突き崩す』 Break my own stereotype

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2019年5月19日 

 足を開いていて、左右の足は同じ長さだから、体はほぼ真ん中にくるだろうと思う。だが実際、描き始めてみると、違う。自分が座っている位置によって、モデルの足の長さは違って見えるのだ。
 始めにほぼ自動的に描いてしまった線を消して、描き直す。
 この、自動的に描いてしまった線が、いわゆる『既成概念』だ。
 写生をするということは、この既成概念を、突き崩していく作業なのだ。
  
寝ているモデルを横から描くと、モデルの体は横に長く見える。
 自分が場所を移動して、モデルの足元へ行くと、足と腰が手前に見えて、頭は肩に半分隠れるし、頭上に伸ばした腕も手の先しか見えない。
 鏡に映ったモデルは、私の方へ頭を向けているので、鏡を見て、逆方向からも描いてみる。自分が椅子の上に立つと、さらに上からのアングルが加わる。
 このように、同じポーズを続けているひとりのモデルでも、自分が「視点」を変えることで、全く違う形が見えてくる。

 

 最後にとったポーズは時間が長い。30分だ。また、視点を変えて何点か描いてみようと思ったが、時間がなかった。
 1枚の絵を何度も描き直したからだ。
 
 始めに、おおまかな全体像を下描きとして、描く。それから、細部を描いていく。
 天才画家は、始めから直感的に描き下ろしていくのかもしれないが、私のような凡才は、ちゃんと計算したり、計画したりするのだ。
 だが、それが途中でだめだったことがわかる。
 全体の下描きをして、まず足の部分から描いていく。足指が、角度によって面白い形に見えるのを、存分に楽しんで描く。
 胴体をスルーして、頭や腕、肩などを描く。すると、なんだか、バランスがおかしいのに気づく。こんなに頭が大きくはないはずだ。自分の絵を見て、何かが間違っている、と思う。もう一度、全体像を見直してみる。モデルと自分の描いた絵を見比べる。やっぱり、だめだ。せっかく描いたのに…。
 ここで、ちょっとした葛藤がある。自分の間違いを認めて、それまでやっていたことを、やり直すという、勇気。
 でも、間違いは、間違いだ。これを押し通しては、全体のバランスが変だ。そこを許せない私がいる。せっかく描いた腕から上の部分だけれども、思い切ってそれら全部を消して、やり直す。
 
 そんな描き直しを二度して、最後の絵が仕上がった。

      *       *       *

 うっかりして、その日はデッサン会があるのを忘れていた。気がついたら、もう始まる時間になっていた。けれども、行こう、と思った。行ってよかった、と思った。
 

#スペースおいち #デッサン会 #絵を描く #既成概念

春の海 ひねもす のたりのたりかな

春の海 ひねもす のたりのたりかな

この句がいつも、浮かんできた。
海を、見るたび、海辺を通るたびに…。
与謝野蕪村だ。

海が近い福井県へ越してきたというのに、姑同居、夫の稼業、子育て、自分の仕事…いろいろあって、なかなか「ひねもす、のたりのたり」とはいかなかった。
それが、やっといろいろなものから解放されて、実現した。

「ひねもす」というのは終日だから、まるきり、その通りではないけれど、今年2019年、令和元年ゴールデンウイーク10連休のある日、私はそんな気分を味わった。
山梨から、旧友が訪ねてきてくれたのだ。

まん中の子供が中学の部活の遠征で、夫がその応援で3日間、いなかった、その3日間に。
一番下の子は3日のうち2日いたけど、やはりもう中学生で世話はさほどかからない。

私がひとりでしたかったことを、彼女とふたりでしたいと思った。
ゴールデンウイークに、人混みに分け入って行くのは嫌だ。
えちぜん鉄道に乗って、三国港まで行って、海をぼーっと眺めたい。

でも、一応、その他の選択肢も、彼女に訊いてみた。
福井と言えば、永平寺東尋坊、恐竜博物館が有名だけど。
だけど「私は電車に乗って海へ行くのが、一番いい」という彼女からの返事。
やっぱり、私の友人だ。

海水浴シーズンでない三国サンセットビーチが好きだ。
三国港駅降りてすぐ。
電車で行けるのがいい。

それに休日は、えち鉄乗り放題1000円のチケットを売っている。
それを利用して、大関で途中下車して『森のめぐみ』でランチ。
その日は、私の好きな広部さんのハープ無料演奏の日だった。
広部さんは、どこか私の生前の父を思わせる。
早めに行って、よかった。
ランチプレートを食べている間にも、
広部さんが練習しているのも聴けて、友人は「得した気分」と喜んでくれた。
そして、いつのまにか、本番は始まっていた。
広部さんの演奏は優しく、周囲に溶け込む。

電車が通るのが見える1階の席に座った。
いろんな席がある中で、友人が選んだ。

私はいつも、ここの2階で、英会話講師をしている。
仕事のときは、車で来る。
ここで仕事を始める前は、こうして時々、わざと電車で来たりした。

広部さんの演奏を聴き終わり、また広部さんが描いた色鉛筆画を観て、『森のめぐみ』を出る。
再び電車に乗って、三国港へ向かう。

そこで、半日のたりのたり、とコンクリート突堤の上を歩いた。
海水浴のシーズンほどではないが、天気の良い休日、釣り人が多かった。
突堤の右側と左側では、海水の色が違う。
左側が河口と交わるせいか、泥色で、右側はきれいな青色。
濁った水の上に釣り糸を垂れる人、テトラポットのはざまに青い海水が微かに波打つ上に釣り糸を垂れる人。
右と左では、違う種類の魚がいるんだろうな。

突堤をどこまでも沖に向かって行く。
潮風が、肌を刺す。

突堤の途中が低い衝立状になっていて、そこに「ここから危険」と書いてある。
でも、みんな、その先にいる。
私たちもその低い階段を上って降りて、その先へ行く。
きっとここから先は、波が荒いときは危険という意味なんだろうな。

いちばん先端には灯台があった。

帰り道は、少し低くなっている左側を歩いた。すると、右側の高くなっている部分が風よけをしてくれて、ずいぶんと、楽だった。

誰かが、魚を釣り上げた瞬間を、目撃した。
やったー。
私たちは手を叩いた。
その男の人は、私たちの質問に快く答えてくれた。
釣れた魚はコノシロというのだと。骨が多くてたべにくいのだが、酢漬けにすると美味しいのだとか。
中学生くらいの娘さんが、手さばきよく、魚の脳天をナイフで突いてとどめを刺した。
ぴちぴち跳ねる魚が、これでおとなしくなる。
クーラーボックスには1ダースくらいの魚がいた。

三国温泉ゆあぼーとに入った。
東京から初めて福井へ来て、この温泉に入ったときは感動したものだ。
海の見える温泉なんて…。
海がない山梨から来た友人は、その時の私のように、喜んだ。

再び電車に乗って、ひと駅。
三国駅で降りて、三国の町を散策した。
三国の歴史に、友人は興味を持ってくれた。
旧森田銀行と旧岸名家のお屋敷を拝見した。
三国の歴史をたどる映像も見た。

そして、またトコトコと電車に乗って福井市内へ帰る。

三国港から東尋坊まで1.5キロというのを、友人とふたりでガイドマップを見て、初めて知った。
いつも東尋坊は、車で行くから知らなかった。
三国から歩いて行けない距離じゃない。
こんどは、歩いてみよう。

* * *

東京に住んでいた頃に知り合った友人。
去年の夏に、山梨の彼女の住まいの近くに行く機会があり、泊めてもらったのが、旧交を温めるきっかけとなった。
会ったのは何年ぶりだったろう。
お互いに25歳の子供がいる。私にとっては、中学生の子ふたりの、さらに上の子だ。

その子供たちを妊娠中に、私たちは出会った。
出産予定日が、5月と7月だった。
価値観が似通っていた。
東京郊外の同じ団地に住んでいたが、ふたりとも、テレビが部屋になかった。
テレビだけではない。だいたい物が少なかった。
団地の間取りそのままで、畳がむき出しになっていた。
そんな団地の部屋で、ふたりとも、子供を自宅出産しようとしていた。

私たちが生まれた年も同じで、1963年だ。
私たちは、55歳になった。

自宅出産にはふたりとも失敗して、結局、ふたりとも同じ近所の産婦人科に運び込まれて子供を産んだ。

あれから私たちはどちらのパートナーとも別れて、いつのまにか離れ離れになった。
最終的に、私は再婚して福井に、彼女は母子家庭生活を貫き、山梨に今はひとり暮らしだ。

当時、子育てをしながら、私たちはパートナーとの関係に悩んでいた。
そして、私たちの共通点は、それを私たち自身の問題としてとらえたことだった。
相手が悪い、というのではなく。
私たちの何がいけなかったのか。
私たちにどういう問題があって、今のパートナーを選んでしまったのか。
それに真剣に取り組んだことが、私たちの絆を深めた。

 

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三国の空を舞う鳶

何かを変えようとして、私たちはもがいていた。
何がいちばん大事だったかというと、私たちの子供だった。
私たちに何か、欠けている部分があって、幸せをつかめないでいるとしたら、子供たち…ふたりとも娘だが…彼女たちには幸せになってほしいと、切に願った。
それには、自分も幸せになることが不可欠だ。

今、自分たちが100パーセント幸せかどうかはわからない。
まだまだ、何か欠けがあるのかもしれない。
けれども、私たちの娘たちはふたりとも、今はとても幸せそうだ。
それを、よしとしよう。
ここまで、私たちは成功したんだと認めよう。
とりあえず、現時点までは。

春の海を、半日のたりのたりとしながら、思った。

友人は、三国の上空を飛ぶ鳶を見て、写真を撮った。

 

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勉強したことを自分に引きつけて考える。 シンクレア・ルイス Sinclair Lewis 『本町通り』Main Street

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シンクレア・ルイス アメリカ文学


 『本町通り』あるいは『メイン・ストリート』Main Street 1920年出版、作者はシンクレア・ルイス Sinclair Lewis1885-1951のあらすじを読んで。 

 

 この本の中身を読んだわけではなく、ただ、こういう作家がこんな作品を書いたんですよ、という知識を得ただけなんですが、それだけでも、何か自分に引きつけて考えることがありまして…。

 

 忘れないうちにここに書いておこうと思いました。

 

 この物語の主人公は、キャロルという若い女性。大学を出てから3年後、12歳くらい年上の医師と結婚、「ゴーファー・プレアリー(プレイリー)」Gopher Prairie という架空の田舎町に住みます。そこで、閉鎖的な町を改革しようと、理想に燃える彼女は奮闘しますが、うまくいきません。一時はそれで、町を離れ、夫とも別居するのですが、最終的には夫の許へ戻ってきます。

 

 そこで、このときのシンクレア・ルイスの視点が、問題です。

 

 田舎町の保守的な、自己満足的な風潮を風刺しているのが、アメリカの人たちにとっては「あるある」で笑えるものらしいのはさておき、この、理想に燃える若きキャロルを、英雄として書くのではなく、批判的に見ているらしく、むしろ、現実と妥協して生きているその夫の穏やかな人柄の方を好意的に書いているそうな。

 

 以上のことはすべて、写真にある『アメリカ小説 入門』井上謙治著、及び『アメリカ文学史 講義2』亀井俊介著から得た知識なのですが、そのルイスの視点について読んだとき、はっとしました。

 

 キャロルの在り方は、若き日の自分だな、と。

 

 私が当時1985年、住んでいたのは東京で、田舎町ではなかったのですが、新卒で従業員100名くらいの会社に就職しました。会社は東京オフィス街のどまん中、丸の内にありました。その会社は、別の大きな大きな会社の「子会社」でした。

  

 当時は『男女雇用機会均等法』元年だったでしょうか、私は新卒採用の女子で一人だけ、ほかの女子とは違う制服を渡され、土日も働いて平日休むという雇用体制で、男性と同じように働く、という条件で採用されました(と、私は思いました)。でも、現実は、そうではなかったんですねぇ。

 社内の制度や考え方を変えようといきり立つ私を、当時の先輩(男性)はこの会社を「親方日の丸」だからと批判しながらも「時期を見て」と私を制しました。

 大先輩の女性(今の私の年齢と同じく50代の)は、「みっちゃん(私のこと)は、妥協という言葉が嫌いかもしれないけど…」と諭そうとしてくれました。

 

 しかし、私は奮闘したあげく、自分の思い通りにいかなくて、3年すると退職して、今度はインドへの旅に出たのでした。

 

 退職したのはもちろん、私の実力不足を筆頭に、適応力のなさとか、今でもそうなんですが、常識のなさとかがあって、必ずしも単純に、私が「理想に燃えた頑張り屋さん」で、会社が保守的だから、だっただけではなかったからなのですが…。

 

 でも、そんなことを、ちょっと思い出させてくれる、本の紹介でした。

 

 そして時代は下って現在、私は福井県福井市という「田舎町」に住んでいます。

 最近では福井は「日本で一番、幸せ度が高い」などという調査結果が出ました。福井に住む人たちの中でもそれは「福井の人の大半がよその土地を知らないからではないか」などという意見も出ていますが…。

 夫は10歳年上。『本町通り』のキャロルの夫のように教養あるお医者様ではないけれど、福井に生まれたときから住んでいる、そこそこ「福井では常識的な、平均的な人」だと思います。

 私は結局、現在はこの夫の許で「庇護」されて生きているのかぁ、と思うと苦笑する次第です。

 

 この福井が田舎町であるのとあまり大差なく、当時の東京のその会社も封建的で保守的だったというのも、面白いです。ほかの会社のことはわかりませんがね。

 

 アメリカと日本の違いを感じました。新しい国と古い国の違いかなぁ、と思いました。アメリカという新しい国の中西部と、古い日本という国の都市部が同じという…。

 

 また逆に、どこの国でも人間というのは同じだなぁ、とも感じました。新しい土地に来て開拓移民として頑張っていたアメリカ人たちも、生活がある程度落ち着くと保守的になる。

 かつての改革派が、自分の生活が安定すると保守的になるなんて、よくある話ですよね。

 

 そんな、いろんなことを感じ、考えるのも、この年になって、趣味的に、こんな通信教育を受けているからです。  

 

 日大通信教育部、文理学部文学専攻(英文学)を取るまで知らなかった作家、そして作品名でした。

 『アメリカ小説入門』というのが、通信教育でのテキストで、亀井俊介氏の『アメリカ文学史』は、日大通信担当教授の北原安治先生が推薦図書のひとつとして挙げられていました。以前も書きましたが、この亀井俊介氏の本は面白いです! 

 

 このことを書こうとしていたら、こんなサイトを見つけました。私よりずっと教養がありそうな人の、もっと知的なサイトですwww.kashiwashobo.sakura.ne.jp/arcana-mundi/miyawaki/article02/118/

 

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